大阪大学 人間科学研究科 共生学系

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Gergen, K.J.著 杉万俊夫・矢守克也・渥美公秀監訳(1994/1998)『もう一つの社会心理学:社会行動学の転換に向けて』ナカニシヤ出版 (HPリンク)

 

福島第一原発への事故対応しかり、連日のフェイクニュースの話題もしかり、また、政治での事実の隠蔽もしかり、いったい「何が真実なのか」わからないと多くの人々が嘆く。そこで、科学的根拠が持ち出されて、エビデンスベースドと冠した分野が盛況になる。では、共生を研究する際にも、隠蔽された事実を明るみに出すように努め、科学的根拠をもって、証拠集めに勤しめば、何らかの真実が見つかって、共生は進む・・・だろうか。実際、エビデンスベースド共生などと言ってみても、どうも据わりが悪い。では、共生学がもたらす知とは、どのような性質をもっていて、どのようにアプローチすればいいのだろうか。

共生学の営みは、多様な学問分野がそれぞれの専門知を追求し、それらを総合的に考え、同時に、社会の様々な人々との協働的な実践から知を共に創っていくものだろう。ならば、共生学に参画するそれぞれの学問分野で何が起こっているかを把握していることは大切である。そこで、ここでは、社会心理学に着目し、私自身が、社会の心理を扱う(はずの)社会心理学を追究する中で出会い、その後の研究への転機となった書物を紹介する。通常、社会心理学であれば、事故対応、フェイクニュース、政治的交渉といった場面を扱おうとすれば、周到に実験を計画し、隠蔽された事実を暴き、科学的根拠を持ってエビデンスを提供することに邁進することになろう(いや、それはあまりに単純化していると言うなら、もう少し繊細な工夫がなされることを期待してもいい)。向かう方向は科学的根拠、エビデンスの発見である。私自身も学位を取得するまでは、関心ある社会問題を何とか実験室に持ち込んで科学的に決着を付けようと素朴に、それなりに熱心に科学的根拠・エビデンスの抽出に努力する実験社会心理学者であった。しかし、どこかで、自分が生み出すささやかな知見と、自分が関心をもっている社会問題との間に、埋めがたい距離を感じてもいた(そして、その距離が埋まらないことに対する理屈もたくさん知っていた)。うっすらと感じていた現実から乖離した状況を破壊してくれたのは、当時勤務していた神戸大学の目の前で起こった阪神・淡路大震災と、このGergenの著書(の翻訳作業)であった。

本書の巻頭には、訳者まえがきの代わりに本書のポイントが5点列挙されている。訳者の間で議論して、この本から読み取った事柄、そして、私たちが(当時の)社会心理学に対抗して打ち出したマニフェストでもある。要約して紹介すると:

(1)「もう1つの社会心理学」に、「実証」という言葉は存在しない。客観的事実についての理論を、実証的方法で検討するという研究スタイルは棄却される。実験、観察、調査という研究的営みは、理論を実証するためではなく理論に表現力を与えるためのものである。

(2)「もう1つの社会心理学」における理論の価値は、実在する(と想定される)客観的事実を描写するところにあるのではなく、日常的行為や社会的制度が依拠する自明の諸前提を相対化し、新たなる日常的行為や社会的制度を生成するところにある。

(3)「もう1つの社会心理学」に価値中立的な理論や研究は存在しない。理論も、研究も、ことごとく、社会的実践としての価値を有する可能性を秘めている。

(4)「もう1つの社会心理学」は、知識が時代を超えて、蓄積されるものとは考えない。知識は、歴史的・社会的文脈に拘束されつつ、社会的に構成されるものと考える。もはや、心理学の一領域にはとどまらない、格別の存在意義を獲得しうる。

(5)「もう1つの社会心理学」への潮流はすでに誕生している。

 

共生の諸問題、共生学が提供する知のあり方を社会心理学の専門知から考える時には、その社会心理学は「もう1つの社会心理学」でなければならないと思う。

 

本書との出会いも思い出深い。私が実験社会心理学を学ぶ大学院生としてミシガン大学集団力学研究所に留学していた頃、博士論文のもとになったデータを発表するためにシカゴで開かれた学会に参加した。そこで、著者ご本人の講演を聴いた。耳を疑った。なぜなら、私が知っていた著者は実験社会心理学者であり、実験結果について話すものとばかり思っていたからである。それが社会構成主義の話で、(当時の)社会心理学批判ばかりが繰り出されてきたからである。そしてそれが実に痛快であった。早速、図書館に行って調べてみると彼の興味深い論文が見つかり貪るように読んだのを記憶している。そんな刺激的な考え方もあるのかと思いつつも実験によるエビデンスをまとめて博士論文として提出し、無事学位を得て、就職は神戸大学に決まった。勤め始めた頃、本書の出版のニュースが入り、早速翻訳することになったというわけである。そして、阪神・淡路大震災も発生したのであった・・・「もう1つの社会心理学」でよかったと思っている。

本書と共生学との直接のつながりは、社会構成主義ということになる。社会構成主義については、本書の姉妹編・入門編とでもいうべき「あなたへの社会構成主義」(ナカニシヤ出版)も出ているので、併読をお薦めする。

 

 (渥美公秀)