大阪大学 人間科学研究科 共生学系

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マット・カートミル(1995)『人はなぜ殺すか――狩猟仮説と動物観の文明史』内田亮子訳、新曜社
Matt Cartmill (1993) A View to the Death in the Morning: Hunting and Nature through History. Cambridge: Harvard University Press.

ー人間の暴力性の起源――狩猟仮説の由来ー

 

暴力性や攻撃性が、人間の本性であるのか否かについては、さまざまな学問分野で、さまざまな議論がある。生物のひとつの種としてみたとき、「ヒトほど同種内で殺し合いをする生き物はいない」という命題は、真であるととりあえず認めておこう。そうすると、なぜヒトはそうした方向に進化したのかという疑問が生じる。

約1万年前に、農耕と牧畜が開始される以前、つまり食糧生産が始まるまで、ヒトは数百万年にわたって狩猟採集によって生活を維持していた。このうちヒトが行う狩猟、つまり集団で武器を使用し動物を殺すことによって肉を獲得する行動に、暴力性や攻撃性だけでなく、そもそもヒトがヒトであるゆえんを求める学説を「狩猟仮説」と呼ぶ。この仮説が広まることに貢献したのは、劇作家のロバート・アードレイが1961年に出版した『アフリカ創世記』であった。

本書によると、「1960年代には、狩猟仮説の中心的命題――狩猟とその選択圧が人間の男と女を類人猿的祖先から作り上げ、彼らに暴力の味を覚えこませ、動物界から疎遠にさせ、自然の法則から自らを引きはがしてしまった――は人気の文化的テーマとなり、人間さえいなければ調和のとれている動物の世界を脅かす、精神的に不安定な捕獲者としてのホモ・サピエンス(ヒト)のイメージは、あまりにも広く浸透して、反論が起こることもなくなった」(21頁)。

本書は、狩猟仮説を支持するためではなく、それを批判するために書かれた著書である。

著者マット・カートミル(1943年生まれ)は、現在ボストン大学教授で、生物人類学、人類進化論を専門とする。狩猟仮説の背景にあるのは、ヒトは殺戮を好む、残虐な生き物であるという人間観である。そもそも、ヨーロッパにはこうした罪深い存在としての人間という考え方があったので、狩猟仮説は広く受容なれることになったのだ。

著者は、文系/理系で分類すれば、理系の研究者だが、人文学の広くて深い教養を有している。本書は、生物人類学や人類進化論だけでなく、文学、歴史学、キリスト教神学、精神分析学などの知見が縦横に引用され、ヨーロッパの知的伝統における人間観と動物観、人間と動物の関係、そして人間の暴力性や攻撃性に関する観点が検討されている。本書は、すぐれた文明論であり、そこに魅力があると言える。

本書を読んだつぎの段階で生じるのは、狩猟仮説が生まれ広く受け入れられたようなヨーロッパの人間観と動物観は、どの程度特異なのかという課題である。著者自身、日本語版にために書かれた「はじがき」で、以下のように謙虚に述べている。「私が西欧以外の文化や伝統を論じなかったさらに重要な理由は、単純に私の理解が十分でないからだ。(中略)まして私が読めない言語で書かれ、ほとんど未知な歴史や世界観をもつ中国、日本、インド、イスラム圏やその他の文化についてなどとても無理だとわかっていた。それぞれの伝統の中での人間性や自然の秩序の概念について、たくさんの本が書かれなければならないだろう」(v頁)。

これは、共生学にとって重要な課題だ。人間性や自然の秩序に関する概念が異なれば、想像される共生のあり方も異なってくるからである。

 

(栗本英世)