宮本常一(1984)『忘れられた日本人』岩波書店
ー日本のムラについて学ぼうー (HPリンク)
現代日本に生きる私たちは、高度経済成長以前のムラの生活について、どれほどのことを知っているだろうか。ムラは、コミュニティの原型である。明治以降の近代化の過程では、「自立した個人」が理想とされ、ムラ的な人間のあり方は「後進性」や「封建性」と同義とされ、乗り越えるべき対象とみなされた。他方で、ムラが衰退してしまった現在では、社会福祉や防災の観点から、あるいは「きずな」を強調する立場から、「コミュニティ」が無条件、無前提に賞揚されている。どちらも適切ではない。私たちは、近代主義的な観点から否定するのではなく、根拠なくロマン化するのでもない観点からムラを捉えなおす必要がある。高度経済成長以前のムラの生活を経験した人びとは、まだ存命している。若い世代の皆さんには、老人たちと語り合う機会をもってほしい。
日本には日本民俗学という学問領域がある。農山漁村とそこに生きる人びとを対象にした、膨大な研究の蓄積がある。文献によって、ムラのことを知ろうとする場合、まず取り組むべきは民俗学である。この学問領域の確立にもっとも功績があったのは柳田国男だろう。私は、高校生から大学に入学した頃、柳田の著作に親しんだ。その後、宮本常一に出会い、帝国大学卒のエリートであった柳田とは対照的な彼の生き方も含めて、より強い共感を抱くようになり、学部生のときに彼の著作を読み漁った。
宮本常一(1907~1981)は在野の学者であった。周防大島生まれ。学歴は師範学校卒。初めて大学で職を得たのは、57歳になってからだった。リュックサックを背負って、日本全国の農山漁村を歩き、膨大な記録を残した。その業績は、未来社から刊行されている『宮本常一著作集』で知ることができる。現在まで51巻が刊行されているが、著作集に収録されていない調査報告や論考も多数ある。彼は、研究者であると同時に、いやそれ以前に百姓であり、篤農家(新しい優れた作物、農具や農法を探し求め、広める農民)であり、口頭伝承の伝承者であった。つまり、彼自身がムラを生きた人だった。今の日本からは、こういう人はもう出ないだろう。
膨大な著作の中から一冊あげるとしたら、『忘れられた日本人』である。1950年代後半に雑誌に連載されたものが、著作集の第10巻として1971年に刊行されている。その後、岩波文庫の1冊として刊行された。文庫版には網野善彦の「解説」が付されている。
『忘れられた日本人』は、傑作「土佐源氏」が収録されていることで名高い。これは、若い時には馬喰(博労、ばくろう、家畜の仲買人)として伊予から土佐を渡り歩いて生計を立てていたが、盲目になり、橋の下で乞食同然の暮らしをしていた老人が語ったライフヒトリーである。性的な遍歴が赤裸々に語られている。
共生学の立場から興味深いのは、冒頭の「対馬にて」とそれに続く「村の寄りあい」で、生き生きと描かれている、ムラにおける合意形成のあり方である。ムラにかかわる重要事項は、原則的に男性の世帯主全員が参加する会議(寄りあい)で、何日もかけて議論される。何時に始まり、何時に終わるといった規則はない。出入りも自由だ。話題は、あちこちに飛ぶ。議題とは直接関係ないと思われるような、過去の出来事が語られる。部外者が、寄りあいを傍聴する機会を得たら、おそらくなにが議論されているのか、理解するのは困難だろう。そもそも、その場がなにかを議論し、結論をだすための場であることも理解できないにちがいない。やがて、議論は落ち着くべきところに落ち着く。こうして達成された合意には、強い拘束力がある。
これは、「土着の民主主義」と呼ぶべき、注目すべき制度である。宮本は、こうした制度は、とくに西日本で顕著であったと論じている。西日本では、ムラを構成するイエのあいだの関係は平等主義的であり、かつ年齢階梯制とセットになっていたというのである。これは、私自身にとっては、きわめて興味深い指摘だ。私が付き合ってきた南スーダンの社会も、平等主義的であり、年齢階梯制が発達している。そして、ムラにおける合意形成のあり方は、西日本の「寄りあい」に、とてもよく似ている。「寄りあい」は、コミュニティにかかわる情報と記憶が、共有され伝達される場であり、そこにおいて意思決定が行われるのである。
南スーダンと同様、ムラにおいても寄りあいの場から女性は排除されている。それでは、ムラにおいて女性たちは抑圧されていたのだろうか。「女の世間」を読むと、かならずしもそうではなかったことがわかる。ムラの女たちは、かなり旅をしていた。ムラとイエに縛りつけられていただけではなかった。面白いのは、女性たちによるエロ噺、猥談である。とくに田植えなど共同作業が、性にまつわる話が、あけっぴろげに語られる場であった。
婚外の性交渉が、かなり一般的に行われており、一時的なものにせよ女性にとってはそれが「解放」であったことは、本書の各所で描かれている。そして、女性と同様、男性も旅に出た。ムラの外の世界を知っている男は「世間師」と呼ばれ、ムラの中で、知恵者として、変化の導入者として重要な役割を果たした。
『忘れられた日本人』から私たちが知ることができるのは、ムラはけっして閉じた空間ではなかったことである。このことは忘れないでおこう。
(栗本英世)