大阪大学 人間科学研究科 共生学系

お問い合わせ

06-6879-8080

柄谷行人(2010)『世界史の構造』岩波書店 (HPリンク)

 

現代の社会をどう理解すればいいのか。現代社会はどのようにして生じたのか、どんな風に成り立っているのか、そして、どこへ向かおうとしているのか。共生を考えるときには、こうした大きな問いにも向き合わざるをえない。歴史(学)を学び、社会(学)を学び、未来に向けて思考を鍛錬しながら、具体的な行動・言動を練り上げて、しっかりと現場に関わっていくことが大切だ。

 

本書は、タイトルからして大きな話である。冒頭には本書の要約が一文で示されている-「交換様式から社会構成体の歴史を見直すことによって、現在の資本=ネーション=国家を越える展望を開こうとする企てである」-が、まことに壮大な話である。この大部の著作を一気に読んで隅々まで分かるはずもないが、何度か行ったり来たりしているとじんわり分かってくるタイプの本である。文章はとてもよみやすい。

本書は、社会構成体の歴史を、A、B、C、Dという4つの交換様式のダイナミックスとして描く。どんな社会構成体も、交換様式の複合体であり、いずれが支配的であるかによって異なった社会が出現する。まず、交換様式Aの前段として、定住しない遊動的な狩猟採取社会の交換様式Uの存在を認め、その否定によって交換様式Aが生まれるとする。交換様式Aは、贈与と返礼を基本とする相互扶助的な交換様式である。典型的には、共同体が対応し、その成員は、共同体に束縛される。交換様式Bは、収奪と再分配を基本とする交換様式であり、身分的支配―服従関係や国家がこれに対応する。交換様式Cは、商品交換を基本とする交換様式で、自由な合意に基づいてはいるが、実質的には、貨幣保有者と商品所有者との交換であって、(身分的というわけではない)階級社会が対応する。繰り返すが、交換様式Cが中心となった社会(現代社会)でも、交換様式AやBがなくなったわけではない。贈り物もすれば税金も支払う。そして、交換様式Dは、交換様式A、B、Cを無化する様式として、強迫的に「いまだなかったもの」として未来から到来するように交換様式Uの高次元での回帰として立ち現れる。

確かに、交換様式A、B、Cのダイナミクスとその歴史的変遷を理解すると、現代社会はどのようにして成立したのか、そして、どういう風に成り立っているのか、つまり、世界史の構造がかなりスッキリと理解できる。しかし、交換様式Dは謎めいている。交換様式Dは、現代社会が向かう(かもしれない)方向を指し示しているだけである。交換様式Dこそがポイントであって、その成立のメカニズムが分かると、現代社会がどこへ向かおうとするのかが理解できるのに・・・そう思うから、本書を読み返し、著者の他の著作にあたり、自分が通う現場の風景に重ね、思いを巡らし、考えに考え、自分なりにメモを書いてみたりする。読書の醍醐味である。

実際、翌年には『「世界史の構造」を読む』が公刊され、交換様式Dに絞った雑誌連載も行われた。交換様式Dは、世界共和国だ、世界宗教だ、共産主義だと様々に議論された。自分では、災害直後の被災地の状況(災害ユートピアなどと呼ばれる)に近いのではないかと考えていたら、著者がまさにそのことに触れていたりして知的に興奮も高まった。著者によれば、交換様式Dは、抑圧されていたものの回帰(フロイト)として強迫的に訪れる。だから、交換様式Dを創造しようなどという発想は間違いかもしれない。しかし、そんなことを自分なりに考えてみる。あるいは、強迫的に訪れることを妨げている要因は何かと考えてみたりもする。無論、交換様式Dが主流となる世界は、皆が手を繋ぎ仲良く助け合って・・・などという世界ではなかろう。しかし、他の交換様式のいずれが支配的になっても共生という事態は抑圧されてきたのだから、交換様式Dが到来したときには共生の度合いは高いに違いないと考えてみる。では、それは持続するのか、泡沫的なのか。それとも泡沫的ではあっても間歇的に繰り返し現れるのか。そこでボランティアはどういう役割を果たすだろうか、ところで、死者は共生しているのか・・・と、本書を放り出して考えにふける。本はいつの間にかボロボロ(とまではいかないけれど)になっている。

 

柄谷の著作とは、私が大阪大学人間科学部で過ごしていた頃(1980年代)に出会った。既に初期の文芸批評やマルクス関連の著作が読まれていて、同時代的に一生懸命読んだのは、大学院に入ってからの「探求I」「探求II」辺りからである。最近著の「世界史の実験」も早速読んでみて、やはり知的な興奮を感じた。ご本人に実際には会ったことはないけれど、書かれたものを辿り、自分なりに理解した気になっている。多くの著作が文庫本にもなっているのでと読んでみてほしい。

 

(渥美公秀)